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AJ埼玉のアタック日本海600キロを完走した(その2)

いコシヒカリのある風景
六日町

コシヒカリ
写真では表せない、雄大な景色であった。地元の方にとっては日常の風景だが、外様にとってはとても新鮮で魅力的な景色であった。また、自転車でなければ気づかない、見る事ができない事も多い。車だったら停車できないとか。素敵な景色を家族に見せたな、とも思うが、多分無理であろう。
魚沼市塩沢のセブンイレブンで休憩。牛めしを食べる。14時頃。さらにコーラ飲んでですっきり。

国道17号は小出で右にはずれて破間川の流域に入るとすぐにPC2広神のセーブオン。この辺りからPCで顔を会わせる人が同じになってきた。
只見線に沿って奥に入り、守門というところでまた山間に入っていく。この辺りから雨が降り始める。トンネルや家の車庫の軒先で雨宿りをしながら進む。雨宿りと言ってもほんの5分くらい。ザーと降って
すぐに上がる雨。まだカッパは着なくていい。

栃尾を通ったが、油あげの雰囲気は感じられない。できれば油あげをいただきたかったが、陽が落ちてきたのでなんとなく先を急いでしまった。
このあと少しの間山間の里を走る。どうにも腹が減って足が廻らなくなってきた。ちょうど携行している食料も切れていた。農村部にお店もなく困った。
ふと道沿いの笹団子の幟が立っているのに気づいた。「助かった」と思い、少しコースを200mほどはずれて笹団子のお店らしきところに向かった。農家の家の前の小さな店の前に来ると、営業終了の看板が。
がっくり。18時近いから無理もないかと思い、立ちすくんでいいたら、その農家のおじさんらしき方が軽トラで帰ってきた。
おじさんが車の中から「店か?」とジェスチャー。そうそう、と手で合図。軽トラを停めておじさんが来てくれた。「残っていれば」と言ってお店の中を見てくれた。笹団子は6個残っていた。
そのうち3個をいただく。1個120円。
その場ですぐに笹を剥がして一つ、二つの団子をいただく。うまい!生き返った。

どこから来たんだね?といつもの問答。「埼玉から来て新潟まで行って帰るんです」と簡単に伝えると。明らかにおじさんの顔が???な感じになる。
「美味しかった、助かりました」とおじさんにお礼を行ってコースに戻る。
しばらく行くと、お腹が痛い。また山間部に公衆トイレなどなく、やっと地域の交流センター(加茂市七谷コミュニティセンターだった)らしき建物を見つける。どうもお風呂施設があるところで地域の方がお風呂に入りに来ていた。地域の方は無料(70歳以上は無料。普通は100円)のようだ。
「トイレを貸してもらえませんか?」と施設の受付のおばさんにお願いすると、「どうぞ、どうぞ」と言ってトイレを貸してくれた。
30分ほどここに滞在し、トイレと格闘。すっきりして再出発。もう真っ暗になってしまった。

山間を抜けて五泉のPC3のセブンイレブンに到着。
軽く食べて先を急ぐ。
阿賀野川の川沿いを走って、新津(車両工場はどこだ?)、亀田(せんべい工場は?)を通り、新潟市に入る。
新潟の市内で浴衣姿の方が多いなと思ったら、お祭りをやっていた。
家族連れ、若いカップル、たくさんの人が楽しそうに歩いている。その脇を自転車に乗った僕らブルベライダーが走る。俺こんな時間にこんなところで何やってんだろうと、考えてしまった。
市内を少し抜けてPC4のファミリーマートに到着。ここまでは雨はまだ降っていない。

ここからは日本海の海沿いを走る。しかし真っ暗なので何もわからない。海の気配さえ感じられない。この区間はちょうど向かい風であったので、20キロくらいの速度しか出なかった。
進行方向からは何か雨の気配がしてくる。闇空であっても何となく雨雲を感じたので降り出す前にモンベルのレインウエアを道端で上下着込んだ。とほぼ同時に雨がポツリと降り出しすぐにザーと本格的に降り出した。
雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返しながら続く。
暗く濡れた道路を走り続けてやっとPC5弥彦のセブンイレブンに到着したのは0時半過ぎ。
宿泊予定の燕三条はもうすぐなので、明日の朝飯のパンも一緒に買い込んでいく。
燕三条のホテルルートインに着いたのは深夜1時過ぎ。予定よりも2時間以上遅れた。濡れた自転車を拭きあげて部屋に持ち込ませてもらう。
大風呂に入って、ジャージなど洗濯物を風呂場の洗濯機に放り込んで2時過ぎに寝る。
3時間寝て、起きてから乾燥機に少しかけて出発したのは朝の5時過ぎ。
雨はまだ降り続いていた。

続く

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