スキップしてメイン コンテンツに移動

AJ埼玉のアタック日本海600キロを完走した(その1)

AJ埼玉の開催するアタック日本海600キロをなんとか完走した。湿気のある暑さと豪雨が特徴である。

2016年のアタック日本海はいつも通り越生がスタートである。6時にスタートする為、越生に3500円で前泊した。前は合宿部屋に相部屋だったが、今回は一人だけ。なので気が楽だが少々寂しい。仕方ないので寝付くまではいつもは見ないテレビ放映を見てしまった。
朝は5時起きして準備。昨夜セブンイレブンで買ったパンを食べる。ジャム&マーガリンのコッペパンで効率よくカロリー摂取する。昔メッセンジャーやってた自転車乗りに教えてもらった低コストで多くのカロリーをとる方法だ。10年くらい前に教えてもらって未だに使う技?である。
ブリーフィングでは三国峠のトンネルで気をつけるよう案内があった。
また、ブルベスタッフとして早く片付けたいから早めにゴールしてね、とのお願いもあった。そうしたい、そうしなければ。三年前の同じく埼玉のスーパーアタック奥志賀で最終走者になった事を思い出した。迷惑かけないよう頑張ろうと思った。
そういうわけで、車検が始まったらすぐに受けて、一番手で走り出す。だいたい2キロくらいは先頭を走行したと思う。最初から絶対に無理せずに、平坦ならパワーを140から180wまで、心拍では140台を超えないよう注意して走った。
最初は10人くらいで集団になってしまったが、途中の交差点で先頭を引いていたライダーからバラけるよう指示があり、その後は数人のパックで進む。
赤城アイスの工場辺りで単独走になった。
この後、色々な工場を見ることになる。
高崎市に入り、グリーンドームとやらを初めて見た。デカイ。

その後いつもは高速道路から見える渋川の謎の構造物が佐久水力発電所ということも分かった。円筒の物体はサージタンクと言うものである事を後で調べてわかった。とても興味深い。きっと世に中には水力発電所マニアとかいるんだろうな。



渋川から沼田へは国道17号ではなく利根川左岸の古い道を通る。なかなか渓谷風景を楽しめる良いところだった。川の水の流れる音が夏を感じさせてくれた。昭和村から沼田へ抜けて沼田の市街地登っていく。そもそもそんなところ通らなくてもいいのに(坂登らなくてもいいのに)やはり真田丸のお陰かと考えた。四つ角の大きな建物で真田丸の展示会やっていたので見たいのだが、まだ始まったばかりなので先を急いだ。
PC1沼田のセブンイレブンでやっと100キロくらい。だいぶ暑くなってきた。蒸し蒸しする。今回のブルベは暑いですねー、が参加者間の挨拶代わりだった。
それよりも今回のコースではほぼ向かい風がなく、8割がた追い風であった。残りは横風と、向かい風は夜中の新潟市の海沿いの20キロくらいであった。
これにより600キロにしては体へのダメージ非常少なかった。雨の間は気温が低かったのも良かったかもしれない。
話を戻す。
沼田から月夜野を抜けてよく知った国道17号に入る。実は17号に合流する前の月夜野の町中は初めて来た。実に趣のある町だった。きっと何か言われがあるに違いない。後で調べる。
17号を登って赤谷湖の手前のローソンで休憩する。ここが三国峠の前の最後のコンビニだからである。また今回初めて知ったがコンビニ脇に東屋があって休憩にちょうど良かった。雪の季節では東屋には気づかない。

群馬県側からの登りは5-6%くらいでキツくはない。カーブが多いので傾斜もなだらかだった。標高1000メートル以上の三国峠には難なく到着。ここからはトンネルとの戦いが始まる。

峠の三国トンネルの舗装は比較的きれいで走りやすかった。ただし路面濡れているので注意するくらい。トンネルの中は平坦で狭いが走りやすかった。
トンネル抜けて苗場まで降りる。夏の苗場ってこういう事かと。

苗場からしばらく登ると火打峠。意外とここがキツい。ほとんどはスノーシェッドの中の登りだった。また降って田代ロープウエイ乗り場の先の二居トンネルに入る。このトンネルは路面がだいぶ荒れていてさらに濡れている。
後ろから車が来るので左端に寄った。ところが、左側が舗装が盛り上がっていて山になっていたので乗り越える時にバランスを崩したらあっという間に後輪が氷の上のように滑った。そして右側に落車。幸いにも後続車は来ていなくて助かったが、左肘に痛みを感じた。路面は荒れていたが、路面の石の表面は磨耗で丸くなっていてさらに濡れていたのでひどい擦過傷にはなわずに済んだ。でも泥だらけになった。
落ち着いて立ち上がって体の異常がないこと、自転車の走行に問題がないことを確認し再度走り始めた。あとトンネルが2つあったが慎重に進んだ。
少しあとで気づいたが、右ハンドルに付けていたミラーが脱落して無くなっていた。もう7、8年使い込んでいたものだったので無くしたのは残念だった。さらに落車の際にチェーン落ちしてしまいその時にパワーメーター用のマグネットが剥がれ落ちてしまった。それでこの後パワーを計測できなくなった。

気持ちよく坂を下って湯沢の街にはいる。とは言っても17号沿いなので風情はない。
その後、しばらく17号を進むが、一面に広がる多分コシヒカリの稲が元気に育っていたのが記憶に残る。

その1はここまで

コメント

このブログの人気の投稿

アキレス腱再断裂後の手術をしてから11週間が経過した。 やっとジョギングができるようになるまで回復したが、まだまだ。 左足の筋肉が全く落ちてしまい、左右のバランスが悪く走っていても身体に悪そう。 少しづつリハビリ矯正して左右を合わせていかなければならない。 まだまだ再断裂の危険はある。医者には「手術したからほぼ再断裂はないよ」とは言われているが。

アキレス腱を再断裂した

ブログも久しぶり。最近はSNSや果てはVLOGなるものも出て来ていて今更ではあるが、リハビリがてらブログを更新してみる。 今年2021年に入ってすぐ、1月10日にアキレス腱を切ってしまった。 それはサッカー仲間といつも通りプレーしていた時、突然後ろから蹴られた!足が攣った!強い衝撃が左足を襲った。 すぐピッチに倒れ込み、痛さで動けなかった。 サッカー仲間に抱えられピッチの外へ出された。 しばらく激痛を我慢していた、少し痛みがきえた。その時はアキレス腱を切ったとは微塵にも思っていなかった。 仲間がサッカーをプレーするのを見届けて、自家用車で帰った。歩行は難しかったが、歩けないことはなかった。 帰りに独りでラーメン屋に寄ってお昼を食べて自宅に帰った。 歩きづらいがなんとか生活はできていた。 翌月曜日は祝日だった。痛みはないが、足がどうも言うこと聞かないので、ちょっとググってみた。 アキレス腱を切った時にふくらはぎを押しても足先がうごかないと言うことを知った。僕はまさにその通りの症状であった。 これはアキレス腱をやってしまった、と悟った。 翌火曜日に病院へ行ったところ、あっさりアキレス腱断裂の診断が下された。 医師は手術することを勧めてくれた。でも入院が必要とのこと。 その頃仕事がとても忙しく、休める状態ではなかったし、何より手術は怖い。 手術せず、そのままギプスをして治す保存治療を選択した。医師はなかなか同意してくれなかったが。 実は色々ネットで事前に調べていて、手術しても保存治療と大差ないことを知っていたからである。 コロナで病院の経営も大変だからお金がかかる手術を勧めたのではないか?とも余計な邪推をしたりした。 アキレス腱断裂は短くても半年、長いと一年回復までにかかる。   ーーーーー 2週間ギプスと松葉杖の生活を経てから、ギプスを外し、装具をつけての生活を続けた。 8週間経って装具も無しで歩行できるようになった。かなり左足のアキレス腱付近の筋肉のつっぱり感はあって、スムーズには歩けなかった。 日々の歩行練習をすることで、違和感も少なくなりつつあった。 11週目、自転車に乗ってリハビリも始めた。 ところが、3月30日家の中の玄関でつっかけを履こうとして足を踏み外し、左脚のアキレス腱を再度断裂した。 その瞬間

BRM618もてぎ時計回りはDNFにした

今シーズン初のブルベはDNFに終わった。 残念ではあるが今後のために記しておく。 この時期北関東は夕立、最近はゲリラ豪雨ともいうが、午後激しい雨が降ることが多い。ブルベの前々日の木曜と金曜はそうだったので、土曜日もそうなることを予想した。 2014年にもゲリラ豪雨にやられたので。 それに備えて雨装備であるモンベルの上下レインウエアとレインシューズカバーを持って行ったが、今回は使わなかった。というか雨が降る前にDNFしたからだが。 スタートが朝の7時に戻ったので、朝は4:15に起床して5時ちょうどくらいに家を出た。いい感じに北寄りの追い風に押されて楽々袖ヶ浦についた。 Beeサイクルのたけしさんがお見送りに来てくれていた。Beeからは2名同じ時計回りに参加メンバーがいた。どちらも速いので早々にはぐれてしまった。 スタートは7:10。最初の山までは3、5名で固まって進んだ。向かい風がきつい。先頭も交代した。まだここでは頑張らず、自分より速い人には先に行ってもらう。決して追いかけないこと。 PC1の原田には向かい風のおかげで少し遅れて到着する。よって休憩時間を短くする。 無駄な動きがないようにコンビニ内での動きを効率的にする。具体的には、まずトイレに入って排泄をした後でシャモアクリームを塗って、手を洗って顔を洗う。 売り場ではあらかじめ買うことに決めていたパンとおにぎりコーナーを周ってレジに向かう。支払いはApple Payでサクッと、、、するつもりが、スマホの電池容量をサーブするため電源が切ってあった。。 スマホ起動するも待てなくて現金で支払う。失敗。次はお店に入る前に電源を入れる動作をしよう。 原田からしばらくはいつもの練習道、しかしここは頑張って登らない、回さないでやりすごす。平地は向かい風であるが160Wの出力に抑える。スピードは25km/hも出ないが仕方ない。 今回はブルベライダーの参加人数が五十人もいないと思われる。うぐいす以降はほぼ他の人と一緒になることは稀になった。 なので、他のライダーとの会話も少なめ。 9時頃原田を出発して、誉田、佐倉を通って100キロ地点のPC2には12時少し前に着いた。15分くらい停まって12:15出発。